ニューアライアンスがある町はどんなところ?

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どうも~ ニューアライアンスのふったーです。

さて、今回はニューアライアンス株式会社がある六本木、西麻布のご紹介をしたいと思います。

皆さん知っていましたか?
江戸時代の六本木町は武家屋のお屋敷町でした。
そして麻布、日が窪はあの徳川家兵法指南役、柳生但馬守宗矩(やぎゅうたじまのかみむねのり)が住んでいた町でもあります。
著吉川英治 宮本武蔵にもこの話が出てきており、伊織が宗矩低へお遣いに行くために駆け回っていましたね。


その流れを汲んでなのでしょうか?

六本木明治時代からの六本木は軍隊の町でした。
明治時代、陸軍の歩兵一連隊と三連隊が置かれてから、兵隊の暮らす町として発展していき、昭和11年(1936)の2・26事件の時には、この歩兵一連隊と三連隊が主役をつとめたそうです。とくに日清、日露の戦争を通して六本木は、兵隊の町としての色彩を増していったとのこと。
終戦後アメリカ軍の町に一変し、米軍相手のさまざまな店がつくられるようになりました。
現在、六本木は外国人が多い町として知られていますが、終戦後のアメリカ軍の駐留が発端のようですね。

そんな中、はじめに臆することなく店にやってくるようになったのは、それまで米軍基地で演奏していたジャズメンだったそうです。
それに続いて金持の若者たちが「アメリカ」のイメージに惹かれて来るようになり、昭和34年には、米軍施設が日本に返還され、防衛庁に移りました。
また、この年には、日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)が六本木に出来たことによって、テレビ関係者や芸能人、さらに芸能人を追う若者たちが集まり、日本の若者たちの時代が始まり今日の賑わいに繋がっているようですね。

今回、自分に関わっている町について調べてみて、過去を知ると今現在の状況になっている理由が見えてくることが分かりました!

六本木の夜景Gitも同じで今現在の状況になるまでの過程がしっかりと見えるからなんで間違えたのか、良かったのかの比較ができるのです。
よく過去のコミットを見ると結構雑なコメントやタイミングでのコミットが目立ってしまって
「うわーこれじゃ他人が見た時にはわからないだろうな」と思うことが多々あります。

細かなコミットの積み重ね 面倒でもこまめにすることで後が楽になるかもしれません。

では次回こそは『ソースの暖簾分けと合併 ~ブランチとマージ~』をご紹介!いたしますね。

参照元

ラクティブ六本木:RACTIVE ROPPONGI 
http://www.ractive-roppongi.com/index.html

投稿者:

ふったー

体育会系からITの世界へ 楽しく、元気いっぱい学んだことをアウトプットしていき、理解を一層深めていきます。 日々精進あるのみです。

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